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2008年6月29日 (日)

藤村詩抄 林の歌

島崎藤村自選

 林の歌

力を刻(きざ)む木匠(こだくみ)の
うちふる斧のあとを絶え
春の草花(くさばな)彫刻(ほりもの)の
鑿(のみ)の韻(にほひ)もとゞめじな
いろさまざまの春の葉に
青一筆(あをひとふで)の痕(あと)もなく
千枝(ちえ)にわかるゝ赤樟(あかくす)も
おのづからなるすがたのみ
檜(ひのき)は荒し杉直し
五葉は黒し椎の木の
枝をまじふる白樫や
樗(あふち)は莖をよこたへて
枝と枝とにもゆる火の
なかにやさしき若楓

   山精
  ひとにしられぬ
  たのしみの
  ふかきはやしを
  たれかしる

  ひとにしられぬ
  はるのひの
  かすみのおくを
  たれかしる

   木精
  はなのむらさき
  はのみどり
  うらわかぐさの
  のべのいと

  たくみをつくす
  大機(おほはた)の
  梭(をさ)のはやしに
  きたれかし

   山精
  かのもえいづる
  くさをふみ
  かのわきいづる
  みづをのみ

  かのあたらしき
  はなにゑひ
  はるのおもひの
  なからずや

   木精
  ふるきころもを
  ぬぎすてて
  はるのかすみを
  まとへかし

  なくうぐひすの
  ねにいでて
  ふかきはやしに
  うたへかし

あゆめば蘭の花を踏み
ゆけば楊梅(やまもゝ)袖に散り
袂にまとふ山葛の
葛のうら葉をかへしては
女蘿(ひかげ)の蔭のやまいちご
色よき實こそ落ちにけれ
岡やまつゞき隅々(くま/″\)も
いとなだらかに行き延びて
ふかきはやしの谷あひに
亂れてにほふふぢばかま
谷に花さき谷にちり
人にしられず朽つるめり
せまりて暗き峽(はざま)より
やゝひらけたる深山木(みやまぎ)の
春は木枝(こえだ)のたゝずまひ
しげりて廣き熊笹の
葉末をふかくかきわけて
谷のかなたにきて見れば
いづくに行くか瀧川よ
聲もさびしや白糸の
青き巖(いはほ)に流れ落ち
若き猿(ましら)のためにだに
音(おと)をとゞむる時ぞなき

   山精
  ゆふぐれかよふ
  たびびとの
  むねのおもひを
  たれかしる

  友にもあらぬ
  やまかはの
  はるのこゝろを
  たれかしる

   木精
  夜(よ)をなきあかす
  かなしみの
  まくらにつたふ
  なみだこそ

  ふかきはやしの
  たにかげの
  そこにながるゝ
  しづくなれ

   山精
  鹿はたふるゝ
  たびごとに
  妻こふこひに
  かへるなり

  のやまは枯るゝ
  たびごとに
  ちとせのはるに
  かへるなり

   木精
  ふるきおちばを
  やはらかき
  青葉のかげに
  葬れよ

  ふゆのゆめぢを
  さめいでて
  はるのはやしに
  きたれかし

今しもわたる深山(みやま)かぜ
春はしづかに吹きかよふ
林の簫(せう)の音(ね)をきけば
風のしらべにさそはれて
みれどもあかぬ白妙の
雲の羽袖の深山木の
千枝(ちえだ)にかゝりたちはなれ
わかれ舞ひゆくすがたかな
樹々(きぎ)をわたりて行く雲の
しばしと見ればあともなき
高き行衞にいざなはれ
千々にめぐれる巖影(いはかげ)の
花にも迷ひ石に倚り
流るゝ水の音をきけば
山は危ふく石わかれ
削りてなせる青巖(あをいは)に
碎けて落つる飛潭(たきみづ)の
湧きくる波の瀬を早み
花やかにさす春の日の
光炯(ひかり)照(て)りそふ水けぶり
獨り苔むす岩を攀ぢ
ふるふあゆみをふみしめて
浮べる雲をうかゞへば
下にとゞろく飛潭(たきみづ)の
澄むいとまなき岩波は
落ちていづくに下るらむ

   山精
  なにをいざよふ
  むらさきの
  ふかきはやしの
  はるがすみ

  なにかこひしき
  いはかげを
  ながれていづる
  いづみがは

   木精
  かくれてうたふ
  野の山の
  こゑなきこゑを
  きくやきみ

  つゝむにあまる
  はなかげの
  水のしらべを
  しるやきみ

   山精
  あゝながれつゝ
  こがれつゝ
  うつりゆきつゝ
  うごきつゝ

  あゝめぐりつゝ
  かへりつゝ
  うちわらひつゝ
  むせびつゝ

   木精
  いまひのひかり
  はるがすみ
  いまはなぐもり
  はるのあめ

  あゝあゝはなの
  つゆに醉ひ
  ふかきはやしに
  うたへかし

ゆびをりくればいつたびも
かはれる雲をながむるに
白きは黄なりなにをかも
もつ筆にせむ色彩(いろあや)の
いつしか淡く茶を帶びて
雲くれなゐとかはりけり
あゝゆふまぐれわれひとり
たどる林もひらけきて
いと靜かなる湖の
岸邊にさける花躑躅
うき雲ゆけばかげ見えて
水に沈める春の日や
それ紅(くれなゐ)の色染めて
雲紫となりぬれば
かげさへあかき水鳥の
春のみづうみ岸の草
深き林や花つゝじ
迷ふひとりのわがみだに
深紫(ふかむらさき)の紅(くれなゐ)の
彩(あや)にうつろふ夕まぐれ

  一葉舟より
     明治三十年――同三十一年
        (仙臺及び東京にて)

 合掌

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